7回忌に思う [柚&わたし]
3度目の。三年目の。 [柚&わたし]
GWはイギリスを食べよう2018 & 柚の思いでいっぱい。 [柚&わたし]
大切で大事なものを守りたいってきもち。 [柚&わたし]
2回目の命日でした。 [柚&わたし]
クリスマスウィークとクリスマスの奇跡 [柚&わたし]
クリスマスウィークも瞬く間に過ぎていきました。
とってもとっても、充実した一週間でした。
今年のクリスマスケーキはこんな感じで。
わんこケーキもたくさんオーダーいただきました。
チキンディナーと合わせてもう狂いそうでした~
そしてディナーにお越しいただいた皆様、ありがとうございました。
クリスマスチキンの写真なんて全然撮る暇もなく、以下数枚のみ。
最終日25日のディナーの準備中。
お土産のツリー型レモンケーキと、ローストには欠かせないヨークシャープディング。
もう何羽焼いたんだか、数えておりませんが、80名以上のディナーの用意をした模様です。
びっくりする数字です。そんなにいらしたのですか!!!!
ここ数年で一番忙しかった。気がします。初めて参加された方も、二度いらした方も、なんだか少し新鮮な感じがした今年でした。
そんな私たちにたくさんのクリスマスプレゼントいただきました。
皆さん、本当にありがとう。ほかにも差し入れや、なんやらまで、写真撮らずに食べちゃいました~ごちそうさま。来ていただけるだけでもうれしく感謝ですのに、ほんと、ほんと、すいません、ありがとうございます。
そんな中、はーちゃん9歳の誕生日もあったり。
おめでとう、9歳。 初めてママという存在を手に入れて一年たったね。ラスクと同じ。
そんな一週間のある日、不思議な出来事が。
ある夜のディナータイム。数年ずっと来てくださっている常連のNさん。彼女のバースディディナーも兼ねていたのですが、宴もたけなわになった頃、そのNさんの様子がおかしい。
一人椅子の下を見ながら、店内を見回し、何度か首をかしげている。
「どうしたの?」「何?」とみんな。
Nさん、「あれ~?なんかいない?下に。さっきから、いるんだけど」と、店内のワンコを確認する。
一人フリーになってるラスクはNさんの向かいの席にいる。ずっと。つまり、どの犬もだれも、Nさんが座っている椅子の下にはいない。
「いや、さっきから、蹴られるんだけど」
酔っぱらってるんじゃないの~ とか、 おかしなこと言って~ なんて最初はいってたんだけど、その中の誰かが
「それ、柚ちゃんじゃない??」と。みんなで「あ~、そうか~、柚なら来そう。きっと来たんだ~」と。
亡くなった柚が大好きなNさんの誕生日に現れたってこと??
その後も「あ!!またけられた!!絶対にいる!!」とNさん。
それから柚の思い出話が始まって、柚はよくNさんの下にいたり、おなかに乗っていたりしていたから。。。
ばからしいお話かもしれないけど、なんかそんないたずら好きな柚がやってきた気がしました。
不思議なことはまだあって、彼女たちが来る前、葛根湯飲もうかってくらい寒気がして、疲れからか、すごくだるくて、困ったなぁっと思っていたのですが、気づくと、疲れも寒気も眠気もすべて吹っ飛ぶどころか、まるで即効性のある強力栄養剤を飲んだかのよう。自分でも自分の体が不思議だった。
そして、仕事終わり、11時半も回った夜中にラスクを前かごに、自転車で帰宅する途中、背中がすごく熱くなったのでした。
柚が亡くなったころ、帰るときいつも背中がすんごく熱くなって、それって私が寂しくならないように柚がそうしていたように勝手に思っているのですが、ラスクが来てからは全くその現象がなくなったのでした。
それがその夜に限ってまた起こったのです。
実は、柚が亡くなってから、大好きだったクリスマスが辛くなっていたのでした。柚の癌が進行し始めたのがちょうどクリスマスの時期。治療もできず、苦しく心配な気持ちを抱えながら、クリスマスディナーの忙しい日々を心ではいっぱい泣きそうになりながら、やり過ごしていました。
そのころの感覚がどうしても蘇ってきて。
でも、この日、あの柚が現れたのだとしたら、楽しくてしょうがなくて来たのでしょう。そして、私にこう言ったんじゃないかって。
「準ちゃん、クリスマスは楽しいものだよ。わたしは、クリスマスがずっとずっと大好きだったよ。病気になってからも、楽しかったんだから。だから、悲しまなくっていいんだよ。」
あたしへのクリスマスプレゼントかな。そう思うと、クリスマスまた楽しんでいける気がしました。
柚~、たまにそうやってやって来るのかな。私の気持ちを修正しに。
メリークリスマス、柚。
ゆず [柚&わたし]
今日は愛犬柚の1周忌。
2015年6月2日、柚は亡くなりました。17歳と一か月。
亡くなるまでの半年間は毎日が闘病生活で、後半は過酷になるばかりでした。
鼻腔内腫瘍というガンで、治ることは望めず、残された命の時間をいかに過ごすか。
16歳の高齢とはとても思えないほど元気だった柚が、そんな訳の分からない病魔に侵された。
手の施しようがないほど、脳に浸潤していて、、、それでも放射線の治療、鍼、化学療法と、
治療を受けることができたのは幸せだった。かかわってくれたお医者さんたちはみんなみんな柚をしっかり診てくれた。
柚は目も見えなくなり、歩けなくなり、、それでも、毎日私と一緒にお店に出勤し、トイレは最後まで自分の意思で行っていた。おむつも買ったけど、ほぼ必要としなかった。
ほとんど寝たきりであっても、そんな柚との生活がそう悪いものでもなく、なんていうか、穏やかな日々だったと思う。
穏やかな時はいいのだけれど、やはり脳へ行ってしまった病気は。。。過酷でつらい。
柚自身も自分の意思と反して体がいうこと聞かず、、それが発作のようなものだったり、徘徊だったり。
たまに起こるパニックみたいなものは、私も耐え難かった。
寝ても熟睡しない、そんな柚と一緒にいたわたしも半年間寝不足で、床で一緒に寝ていた。
柚を亡くしてからも夜中に何度か目を覚ます癖が抜けなかった。今も一回目が覚めちゃう。
一つを乗り越えると、また次の試練。 状態は確実に悪い方に向かっていく日々で。。
柚の意思。 一番尊重しなくてはいけないこと。
言葉発しない柚の気持ちを汲み取るのが私の役目であり。
半年間、治療を続け、最後は、もうどうすることも、小さな希望さえ持つことができなくなる時が来てしまった。そして。。
「安楽死」という辛い決断をしなくてはならなかった。
飼い主である私。 こんなきつい決断をもしなくてはならないのかと、自分の人生を呪いたくなった。
でも、事態はもう待ってくれない。柚がつらく苦しい思いをするのを長引かせるわけにはいかない。
お別れの時がきた。
柚と私の。
主治医である池尻大橋の先生。 全信頼を寄せていた先生。
彼女にお任せし、指定された時間に病院に行き、
先生は柚との短い間の思い出話をしてくれ、私と柚の話を聞いてくれ、そして、その先生は。。。
涙を流しながら、柚の心臓を止めました。ほんとうに、泣きながら。。
処置室に入ったときにはもう、柚は気を失っていたから。。。だから、心臓が止まっても何ら変わらない感じで。
柚は眠ったまま、心臓と息が止まりました。私たちに撫でられながら、よしよしされながら。。
静かにその時が終わった。
そのあと、先生が柚を私に返してくれるまで1時間近くの時間が過ぎた。
そして先生が抱っこして連れてきた、真っ白いおクルミに包まれた柚をみた私たちは驚きました。
本当にかわいく生まれ変わっていた。
まるで、パピーの頃の柚みたいだった。かわいらしリボン付けて、サラサラに毛並みにいい匂い。
そして、腫瘍で飛び出てしまった右目もまるで普通に目をつぶっているかのように処置してくれていた。
先生は亡くなった柚に外科的処置まで施してくれていた。本来の柚に戻すために。。。
「この子、本当はとってもかわいいんですもんね」 涙で真っ赤になった目で愛おしそうに柚を抱っこしている先生。
こんな先生に診てもらっていたんだ。柚と私は。あぁ、なんて幸せなんだろう。。
真っ白いおくるみに包んだ柚と、花束をくださった先生。
病院を出るときは何とも笑顔になったのをすごく覚えている。あの時も今日みたいに本当にいい天気で。。
かわいい柚を戻してくれて、またかわいらしい柚に会わせてくれて。。。うれしくてたまらなかった。
リボン付けた柚。 最後の柚と一晩過ごして、柚を見送りました。
幸せだった柚。 最後の瞬間まで自身の意思を貫き通し、私に「安楽死」の決断をさせた柚。
「じゅんちゃんならできるよね。お願いね。」 そういわれたみたいだ。
でも、こうやって帰ってきた柚をみて、すべてを納得しました。こんなにきれいに戻ってくるなんて、
医師じゃないとできない。。 見えない縫合までされて、病気じゃなかったみたいな顔に戻って。。。。
「安楽死」ってすごく怖くて、一番選択したくないことだったのに。。。。でも、これでよかった、いや、これじゃなきゃいけなかった理由が分かった。
「柚はかわいい自分に戻りたかったんだ。リボンまでつけちゃって」 みんなで大笑い。
柚らしい。 やっぱ自分自分よね、あんた。 (≧∇≦)b
そして、何より、最後にかわいい自分を私に見せるため。。。私を喜ばせるためだったんだよね。 柚め。
最後の瞬間まで頑張ったのは、私を喜ばせるため。私に笑ってもらえるため。。。私思いの柚。
しっかり者の柚、あっぱれな柚。
こんなに笑った一年後のあたしを想像していたのかな、柚は。私は想像していなかったよ。
柚が逝って、あんなにきつい時間はなかった。きついとか、寂しいとか、そんな言葉では表せない、そんなもんじゃない日々。
最愛の人を亡くした経験がある私でさえ、柚の死の痛みはそれを超えた。超えるなんて思わなかったけど、そうだった。
苦しかった。
でも、いま、柚からのおくりもののラスクとこんな風に笑って毎日楽しく暮らしてる。
命日の今日、寂しくないようにラスクが私の隣にいるよ。柚。
ぜんぶぜんぶ、柚の思い通りだよ。むかしからず~っと、これからも。
GWはイギリスを食べよう!& 柚の誕生日 [柚&わたし]
※4月30日(土)おつまみビュッフェのため通常営業は15時半までとなります。⇒ビュッフェはご予約で満席となっています。ありがとうございます。
今年もやります。「GWはイギリスを食べよう!」
数えてもう5回目なんですね。ちょっと驚き。
今年のメニューはこんな感じです。
メインは2種から選んでくださいね。
両方パイという名前だけど、形状は全く違います。
チキンパイはいわゆるサクサク層のパイ。コッテージパイはパイといってもマッシュポテトでふたをしたシチュー。実はお店の看板メニューです。今回はランチに出しちゃう、思い切りの良さ。(* ̄0 ̄)ノ ヨッ!
デザートプレートもぜひ。5種全部でもよし。おなか一杯なら、3種でも~(^^♪
5月3日(火)祝日ですので、営業します。この週はおやすみなしですb( ̄ロ ̄)d 働くね~、、
4月15日は亡き柚のお誕生日でした。生きていたら18歳。でも、柚は永遠のプリティ17歳。
柚へのプレゼント。ありがとう。
柚の誕生日、柚が10歳になるまで、毎年あまり気にしてなくって、過ぎたころに「あ~、そうだったっけ~」とか、おめでとうと言ったことあったっけか~??って、今そんな人、あんまいないと思うんですが。。。ダメ飼い主ですねぇ。。おまけに役所への登録の生年月日も一日間違えたまんまでしたから。。。ごめん、柚。
さすがに10歳になったときは大台に乗ったもんで、意識しだしました。もう折り返しなんだよな~、今まで一緒にいた年月ほどこれから一緒には過ごせないんだよな~って。。。
ちゃんと誕生日会みたいのしてあげたのって、最後の4年くらいだったかな~。柚はうれしかったんだか、どうだか、でも、みんなが笑っているので、いつも楽しそうだったな。
柚のためのケーキも3回くらいしか作ってあげてなかったけど、、、今年も作ったよ。柚。
柚が亡くなり、その3か月後、大阪のシェルターから来たラスクと暮らすようになり。。
先日は役所にラスクの転居届をしに。まだ住所が大阪のまんまだったから。で、ラスクの年齢、私ったら一年間違ってたことに気付いた。大阪の保護団体ARKの書類を見ると、今ラスク、6歳です。( ̄▽ ̄;)またしても飼い主記憶ミス!。何を思ってか、わたし、一歳間違えてた!なんだなんだ、7歳じゃなくって、6歳だったのねぇ~、ごめんよラスク。
で、ラスクの誕生日は柚と半年違いの10月15日と決定いたしました。役所で、そう記入しました。31日なんていってたけど、やっぱりハロウィーンと一緒じゃぁ。。。。柚と同じ15日。半年違い。うん、それがいいや。
一緒に柚の死亡届も提出。。。ずっとできなかったこと。この書類を書き込むときは、ごめん、やっぱり、泣けてしまったです。
柚のケーキは次の日ラスクの朝食に。
ラスクの誕生日はちゃんと覚えておくからね~、10月15日。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
そんな柚と一緒に何度も訪れた熊本には思い出がいっぱいです。
2010年に訪れた「阿蘇神社」
柚と家族と一緒にお参りしました。旅先で地元の人にぜひ訪れた方がいいと勧められたのでした。
静かな田舎にひっそりと建つ威厳のある美しい神社でした。来てよかったなって、うれしくなったのを今でも、あの気持ちを思い出します。
この本堂が、神殿が、崩落しました。あぁ、悲しい。悲しい。
「白河水源」は日本の名水百選に選ばれている、夏でも涼しくて、いつまでも水の中を見ていたいほど。
美しい国、熊本。
毎年訪れる大好きな熊本。
そんな熊本が痛み苦しんでる。どうか、どうか、解放されますよう。。。