ラッちゃんへ。 [ラスク&わたし]
ラスク
ラッちゃん。
一緒に暮らして7年半。
13歳のラスクは
元気にあっちに行ってしまいました。
亡くなったのは2月4日
去年の9月に脳腫瘍の外科手術して
その後毎週放射線。
本調子とはいかなくても、
その時のラッちゃんなりに、元気になっていきました。
あんな大手術したのに、走るまでに。
術後のつるつるの頭にも毛が生えてきて。
食欲ももりもり。
放射線の影響で
顔が黒くなってきても
それがかわいくて
何犬ですかといわれたのもこのころ。
ぼくのこと?
このまま数年、せめて一年は、続くのかなって、本気で思っていた。
けれど。
年末にがんが転移して。
すぐに投与はじめた薬が効いて、
がんは小さくなってきたんですが
いかんせん、
始まりは鼻尖ガン。そこから脳腫瘍になった。
そのがんなのか、なんなのか、脳にまた悪さをしたらしく
1月には毎週一緒に出勤したけれど。
2月はそれがかなわなかった。
復活することはなかった。
よく頑張ったと思う。
ラッちゃん、
自分でご飯食べなくなったけれど、
シリンジご飯をいつも平らげてくれて、
亡くなるまで体重が一つも減らなかった。
すごいなって思う。
あっぱれだよ、くいしんぼうめ。
いつもいつもこんな顔して
よく走ってたな。
追いつけなかったもの。
ラスクはまた、走りたくなったんだと思う。
走ることも、歩くことも、難しくなってきて、
最後の一か月は穏やかにねんねしてることが増えていった。
それでも週に2回三回は病院に駆け込むようなことになり、
救急にも行ったり、いろんなことが起こるようになってしまって、
もう、
そういう生活は、
終わりにしたかったんだろう。
終わってしまえば、
いつ急変するかわからない毎日を過ごしていたことは
相当ストレスだった私のことを。
それをわかっていたんだと思う、ラスクは。
毎日をただただ、楽しく生きた
わたしとの七年半
もうおなか一杯になって
未練なども、思い残すことも、一ミリもなく、振り返ることもせず、
あっちにビューンって行っちゃった。
「おかあちゃま、バイバイ!!」って。
だから別れ際
わたしも
「ラッちゃん、バイバイ!ありがとね!楽しかったよ」
泣きながら、そう言えた。
もっと生きてほしかったといえばもちろん、そうだけど、
けど、なぜか、
ラスクは十分生きた。太く濃く、いっぱい生きた。
そう思えてならない。
長さじゃないんだって、実感している。
私の中にも未練がない、そんな感じな生き方。
わたし達、共にそうやって生きてきたのかな。
6歳で保護犬として私のところに来たラッちゃん。
その頃の写真です(。・ω・。)ノ
ゴールデンの子犬みたいで、なんともかわいい男の子だなと。
なぜこんな犬捨てる~?と。
人が苦手だったラスクが、
人が大好きになっていって、
お客さんのオーダー狙うまでに成長( ̄▽ ̄;)
みんなを笑わせて、
「ラッちゃんて本当にいつも楽しそうだね」って
みんなに言われてきた。
人に捨てられたラスクと
先代犬をなくした喪失感で、げっそりしていた私。
何の因果か、
先代の柚もラスクも同じ病。
運命は残酷だと、自分を呪ったけれど。
今は、ラスクが私の辛さを全部一掃して、
向こうにまとめて持って行ってくれたような。。。
わたしを楽にしてくれるために、
私のもとに突然現れて、
そして、また消えちゃったのかな。
まるでそんなふうな、、、
不思議な犬だと思う。
病に負けたんじゃない、
ラスクは負けたんじゃなくて、
この世でのやるべきことをすべて終えて、
向こうに行ったんだとおもう。
わたしとの生活も満足な毎日で、
予定より早いなと思ったのは
わたしだけで。
ラッちゃんには未練も、苦しさもなかったんだから
私はそれで充分
毎日が笑いだったな。
ラスクといる時間が。
ラスクを見て
笑えないのが
寂しいよ、ラッちゃん。
いろんなところに一緒に出掛けました。
北海道にも、九州にも、
飛行機に、新幹線。
ラスクがいればそれで本当に幸せだった。
ラスクは私以外の人ともいっぱい触れ合うことができて、
毎日おいしいものもらって←盗んで( ̄▽ ̄;)
こんなにたくさんの人に愛されるラスクは
彼自身想定外だったと( ̄∇ ̄;)
私にとってのラスクは
かわいいかわいい愛情の塊のような存在で。
元気なときも、
病気になってからも、
幸せをまき散らしてくれた。
ラスクと暮らせたことは
天から降ってきた幸運だと思っている。
私を信頼してくれて、
ありがと。
ラッちゃん。
さようなら。
最高で
最強の
コンビになってくれてたね。
ラスクを可愛がってくれた皆さん
ありがとう。
2023-03-23 16:02
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