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父の事 [雑談]

すごい間があいてしまいました。


この間に急な要請(父からの)で急遽九州の実家に帰りました。

コロナがあったので、約二年ぶりです。


少し前に電話で話した声とは全く違う、ハリと力のなさ、弱気な言葉。

ただ事じゃないと思っていたら、すでに入院しておりまして。

まったく知らされておらず。


二年前の冬

神社の大階段を一緒に上ったんです。80だった父と。

「自分は100まで生きる」とよく言っていた。

かといって、日常的にマメに動くとか、健康に気遣うとかするわけでもなく、

根拠の全くない自信を豪語してきた人。


しかしこの二年の間に脳梗塞したり、結果、自分の体が思い通りにならなくて、

相当つらかったんだと思います。



体の次には心が参ってしまい、急激に悪くなってしまった父。


今回面会であった父は、大きな声で怒鳴る昔の父ではなく、

弱弱しく、細く、歩くことも、ちゃんと喋ることもできない

涙ぐんでいるかのような不安でいっぱいの顔。


病院を出て帰宅してから、涙が出てしまいました。



もうあのえばった父には会えないんだなぁ。。あの大きな声も聞けないんだなぁ。。


それにしても母も随分苦労したと思うんですね。

イライラが募り、母に当たっていたと想像できるわけですから、

父のいない家はなんだか、緊張感がない、ゆったりとしたかんじになっていて。

母はなんか

嬉しそうは言い過ぎだけど、久しぶりに父に会って抱いた私の感情とは全く違う。

あたりまえだ。

父との生活の大変さを

トータルでわかって理解できる。

母もつらかったろう。


一緒に生活しないとわからない苦労、苦悩。


健康だった頃でも昔ながらの強い性格、いつも命令口調の父でしたから。

子供のころからなんとなく緊張感漂う家だったんですね。

父が仕事で帰れないと、みんなで喜んだなぁ。Σ( ̄ロ ̄lll)

けど、父を嫌いになったことはなかったなぁ。。。

数年に一度くらいの思い出があったりします。


どこかに遊びに連れて行ったりしてくれる人ではなかったけど、

たまに仕事場に連れて行ってくれて。

建設の仕事してたから、重機に乗せてくれたり、大型トラックにも乗せてもらったなぁ。

そこで見る父はなんか、家で見る父とは違って、あたりまえですけど、すごく動いていて、

コミュニケーション能力も高し。

生き生きしていたって感じかな。




この後どうなるのか。どうしたいのか、どうするべきなのか。


また一月に帰ってくるねと、実家をあとにしました。


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昔に戻してとはおもわない。

生きて老いていくのは仕方がない。

今起こっている物事に対して、これが最後っていちいち意識していない。

気づくともう、かなわないことばかりだけど。

しておいてよかったこともたくさんある。


二年前一緒に熊本旅行に行ったのが最後になったんだと思う。

行っといてよかったな。

帰りは父がずっと高速を運転してくれた。

運転がすごく上手な人だったから。

父の車は安心できる空間だった。

子供の頃からずっと。




親を持つってこういうことなんだなって

自分の身に降りかかって

介護のこと、生活のこと、残された家族の事、

身にふりかかる前は後回しにしていた。

父も、自分がダメになったときの話なんて、怒りだしてしてくれなかった。

わたしも、今度でいいかって、今度は果てしなくあるわけではないのに、それをしなかった。


今になってあたふたしてしまう。


そんな新たな状況が加わった新しい生活。

わたしも頻繁にできるだけ、帰らないといけない。

そういう生活パターンに変わっていくんだな。

でも母は頭がしっかりしているし、しっかりしているうちにいろいろやっていこう。

母が不安がらないようにしてあげよう。




お店も17周年(いつの間にか過ぎていた)

ラスクも12になりまして、

秋の旅先の話とかも、

次回は。


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